「性格変わったね」

お久しぶりです。べんぜくんです。

 

ケータイが壊れた関係でツイッターの方にログインできなくなってしまいました。

さて、そんなわけでべんぜくんは完全に機能停止してしまったわけですがリアルのぼくはなんとか生きております。

 

 

では本題と参りましょう。

このタイトルですが2ヶ月ほど前に友人に絶縁の警告を受けた際に言われたことです。

「人が変わるのは普通のことだけど、べんぜくんのは不自然。」

「私たちはべんぜくんがべんぜくんだったから友達だったけど今のべんぜくんは私たちの知ってるべんぜくんじゃない。」

 

と、まあこんなことを言われてしまったわけです。

 

 

それから月日は過ぎ、今に至るまで彼女たちとの交流は一切なくなってしまいました。

 

変わったと言われれば変わったかもしれません。

ですが不自然と言われても覚えがないのです。

 

「こんなことで…」

そう考えてしまう僕だからそんなんなんでしょう…

 

かなり前の話でしたがふと思い出したので文章にまとめてみた所存です。

完全に自己満足です。

 

おわり

イカロス

 少年は良い友人をたくさん持っていた。その友人達は時に少年を助け、励ましてくれるこの上ない最高の友人達であり、少年にとっての宝物であった。
 
少年はまた空に憧れを持っていた。

そこで少年は自らの背に翼を着けた。少年は大空を飛ぶ力を手に入れた。

しかし、そんな少年の異形の姿は友人達には受け入れられなかった。今のあなたは私達の知っているあなたではないと1人、また1人と少年の元を去っていった。少年は元に戻ろうと翼をもごうとした。しかし翼は既に少年の一部と化し少年の身体は元に戻ることはなかった。

友人を失った少年は今もたった1人で空を飛び続けている。それは翼をもがれる以上の悲しみであった。

『変身』

私は醜い怪物だ。
怪物として産まれ、怪物としての人生を生きてきた。周りには人間の友人はいたがその醜さから迫害を受けることも多々あった。
そんな生活を送り私は高校生になっていた。高校になって少し経ち、周りに馴染んだ頃私は違和感に気づいた。高校生になって以来、迫害を受けていないのである。不思議に思った私は恐る恐る鏡を見るとそこに醜い怪物ではなく普通の人間の姿が映っていた。
それからの3年間は夢のようだった。迫害を受けることもなく、本当の意味で人生を謳歌していた。怪物としてではなく人間として人間とつながることができていた。
時は過ぎ私は大学へと進学した。しかし、高校時代のように人間とは馴染めなかった。それでも私はこういうこともあるだろうと考えていた。
大学生活を2年半ほど続けたある日、私は高校時代の友人に出会った。私はその人間に恋をした。私はその人間に想いを伝えた。しかし、その想いは好きな人がいるという一言で散ってしまった。
悲しみに暮れた私は数年ぶりに鏡を覗いた。そこに映っていたのは人間の姿ではなく、醜い怪物の姿だった。

富山での出来事

「ごめんなさい。」
それが彼女の答えだった。なぜこのような結末になってしまったのかこのブログの読者のみなさんに考えていただきたい。そして教えていただきたい。
7月某日、僕の元に一通のラインが届いた。「富山に行かない?」とても急なことで驚いたが楽しいことが大好きな私は快諾した。富山には私、健常者(女)、元メンヘラ(女)の三人で友人(男)を訪ねる目的があった。
翌日、最寄駅で車を借り、富山へと出発した。富山に着く頃には日付を超えてしまっていたが友人と合流し海岸で花火をし、その後友人宅で酒を飲んだ。
さて、ここまでは序章である。本題はここからになる。
お酒は少なかったが久々の再会ということで日が昇る頃まで語り合った私たちは帰りに備え寝ることにした。誰が提案したか4人ひとつのベッドで寝ることになった。壁側から私、元メンヘラ、健常者、友人の順であった。4人で寝るのはやはり無理があり、1人また1人とベッドから抜け出し私と健常者が残ることとなった。
2人残された我々は抱き合って寝る形になったのだが健常者は普段からスキンシップ多い娘だったのであまりお互い気にしなかった。
しかし、ここで事件が起こる。
何を思ったか私は健常者にキスをしてしまったのだ。起きていた健常者は驚いた表情をしつつもそこに嫌悪の感情は読み取れなかった。
ごめん」
小声で謝りながらもあまり悪いことをしたとは思わなかった私は二発目を目論んだ。しかし、なんと今度は向こうからキスをしてきたのだ。
(これはいける)
調子に乗った私は舌を軽く絡めるキスを二度ほどした。彼女は少し照れたような表情で私を責めるように私の脇腹を摘んでくる。
私は勝利を確信した。ついに私にも念願の彼女ができる。そう思った。
その後は富山市内の観光地(なんとか公園)に向かい、友人を拉致ってそのまま静岡へと帰ってきた。
それぞれ家に帰った後、私は彼女に付き合ってほしいという趣旨のラインを送った。(ラインで告白するというのはあまりよろしくないとは思いつつ彼女の気持ちが冷めないうちに決着をつけたかった。)そして少し時間が経ち返ってきたのが冒頭の言葉である。
思えば公園で彼女が六本木だかどこかのジブリ展に行きたいと言ったので私が
「一緒に行こうか」
と言ったところ
「みんなで行こうね」
と言われたことや、帰りの車で友人を彼女が膝枕していたりと彼女なりにサインを出していたのかもしれない。しかし、舞い上がっていた僕はそのことに気付けなかった。
さて、これが僕が今病んでいる原因の全容である。あくまで僕の主観なので彼女からしたらまた内容は変わってくるだろう。
最後にマンガ、善悪の屑のセリフをパロって締めたいと思う。
もう二度と恋愛できねえ

実際の団体、人物とは一切関係ございませんを

お久しぶりです。あなたと別れてからもう2年近く経ちますね。体の方はいかがですか?毎日楽しく過ごしていますか?突然こんな手紙を受け取って困惑されているかと思いますがこれが最初で最期ですのでどうかお許しください。
今、僕はあまり幸せとは言えない毎日を過ごしています。あれからの僕のお話を聞いてください。

君と付き合っていた頃の僕はとても幸せでした。僕の幸せが崩れだしたのは君と別れて少し経ってからです。所属していたサークルにあまり馴染めなくなっていったのです。もともとあまり経験のないまま入ってしまったサークルでしたから周りとのレベルの差は入部当初からかなりありました。それに加えてチーフも任されるようになりました。しかし、人をまとめた経験などない私は人の使い方がわからず、仕事を全て背負い、しまいには全く仕事ができなくなってしまいました。こうなってしまったのは去年の今頃です。次第に人を恐れるようになり、サークルはもちろん学校に行くこともなくなりました。今は休学をしていますが将来の希望は完全に失われています。

あなたに手紙をだしたのは僕がまだあなたのことが好きだからです。僕の住む県に海はありませんがテレビなんかで海を見るとあなたとの日々を思い出します。あなたが僕のことをなんとも思っていないのは知っています。ですので一種の嫌がらせとでも思ってください。今までありがとう。


そこまで書くと青年はペンを置いた。マンションの屋上に出て夜風を浴びながら遠くを見つめる「人類にとっては小さな一歩だが1人の人間にとっては大きな一歩だ。」彼はそう呟くと一歩何もない夜空へと踏み出す。最期に彼の目に映ったのは間違いなくあの日の海だった。

メンヘラ芸は流行らない

まずはメンヘラ芸について(私の解釈ではあるが)説明しよう。メンヘラ芸とは自身の病み、闇を面白おかしく、時に明るく昇華したもののことである。
私自身、(闇が浅いため最近はあまりしていなかったが)メンヘラ芸を好み、行ってきた。

さて、話は変わるが最近私は新たなフォロワーを開拓するためメンヘラ界隈の様々なアカウントを巡っていた。
そこで私はメンヘラ界隈のアカウントたちに対して思ったことがある。
メンヘラたちのアカウントの多くがつぶやいている内容は学校が嫌なこと、親が嫌なこと、誰かに愛されたいこと等々日頃の鬱憤である。これらの多くは自己完結で終わっており、フォロワーはそのツイートを評価するから反応するのではなく友達だから、自分の心情に似ているから、はたまた"この内容に該当するものは反応しろ"と書いてあるから反応するのである。メンヘラ界隈とはごくごく狭いコミュニティ内での馴れ合いで繋がっている界隈と呼べる。
そのような界隈で評価されるツイートというのはやはり上記したような病み垢達の共感を得るツイート、つまり鬱々とした暗いツイート達なのである。

これらを踏まえた上で話を戻そう。メンヘラ芸はその名の通りメンヘラがするものである。つまり、メンヘラ界隈で生まれるものだ。しかし、それは残念なことに周りのメンヘラ達のニーズには合っていない。彼女達は内容の面白さというものは一切求めていないのだ。
そういうことからメンヘラ界隈では
メンヘラ芸は流行らない
というわけである。

私個人の意見としては暗いものを暗いものとして吐き出すよりもそれらを明るい内容に変換したものにこそ価値があると考えているだけにそれを理解しないメンヘラ界隈のアカウント達には失望すら感じる。

それでも私はこれからもメンヘラ芸はしていくし、メンヘラ芸をするアカウントを陰ながら応援していきたいと考えている。
いつかメンヘラ達があたり一面の暗闇よりも光の中の闇の方が暗く、美しく見えることに気づくことを祈って。

たまにはいいお話でも

 日頃、しょうもないことばかり言っている私だが、たまにはいいお話をしようと思う。道徳の教科書にでも載っていそうな話ではあるが読んでいただきたい。

 私はクソ人間である。具体例を挙げるなら、与えられた仕事はしない。したとしても期限は守らない。人に嫌われていると勝手に思い込み殻に閉じこもる。ゆえに誰からも信用されない。そんな状態なので人が怖くて外に出ず家に引きこもり、ネットの世界へと逃げ出す。頭の中は死なせてくれの6文字がグルグルと回る。
これが私のリアルでの姿である。

こんな私のことである。今は、いや、この先もずっと誰かのためにできることなんて何もないと考えていた。考えて"いた"のである。

 先日、私の元に私が尊敬するとある女の子からメールが届いた。
あえて内容は省かせてもらうが、やりとりをするうちに彼女は私に「あなたの一言が嬉しかった。ありがとう。」というような内容の返事をくれたのだ。

 私はこの夜涙を流した。久々の嬉し涙である。前述したような私である。最後のありがとうはもしかしたら2年ほど前の元カノからの「今までありがとう」の「ありがとう」かもしれないというほど最近感謝をされていなかった。久しぶりに人に感謝をされたのである。「私はここにいて良いのだ」「私にもできることはあるのだ」そう思わされた。

「ありがとう」それはちょっとした言葉かもしれないが時に(そのようなことはされたことはないがおそらく)数千RTされることよりも承認欲求を満たし、人に生きる希望をも与えるものである。
こんな素晴らしい言葉、使わない他はない。

さて、これをもって今回の記事を締めくくらせてもらうが最後に、僕に希望を与えてくれたとある女の子にありがとう。そして、これの記事を読んでくれた皆様にありがとう。